浮気と狂気の結末
古い本でありながら、夫婦愛について考えさせられてしまう一冊の本を読んでいます。夫が外で作った愛人の存在を知った妻が、夫を責め次第に狂気に落ちていく。夫はそんな妻に付き添いつづける。壮絶な人間の愛憎劇を描いた私小説的な物語です。
存在は知っていたのですが、内容が内容だけに精神的に落ち着くまでは読んではいけないと思っていました。先日たまたま思い出し、ついに購入してしまいました。しばらくは、「これを読んだら、また精神不安定になるのではないか」とおびえる気持ちがあって開いていなかったのですが、一度読み始めると止まらず、一気に読んでしまいました。
結婚して平穏な家庭生活を送られた人には、この本をどのように読まれるのかはわかりません。でも、夫の浮気と離婚を経験している私にとって、作中の妻は、まさに私自身だったのです。
自分を裏切った夫へ執拗なまでの妻の責め。夫の口から相手の女性と何があったのか言わせようとする行為。そして、自分のそのような行動を恥じて夫に謝る様子。すべて2年前に私が繰り広げたことです。
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これを狂気というならば……元旦那の浮気、不倫、離婚…まったく同じ狂気を私も持っていました。
忘れかけていたその事実をまざまざと思い出しました。私の心の奥底に、確かにあの狂気は存在していました。作中の夫は、女性と別れ家庭を元にもどそうとします。執拗な妻の責めに何度も逃げ出したい衝動にかられますが、情にからめとられて妻を捨てることはできません。その苦悩も激しいのです。
私には、夫の行為がものすごい愛情であると感じました。私だってここまでの愛情が欲しかった。夫の浮気を知った後、私は苦しみましたが、二人でこれを乗り越えたいと強く思っていました。私も作中の妻と同じように猜疑の発作を起こしながら、その後には「もうこんなふうにならない。もとの私に戻るから。」と何度も夫に繰り返しました。
ただ、この本の内容と違ったのは、夫が最初から私と別れて不倫相手の女性といっしょになりたいと思っていたことです。結局、元旦那は、自らの行為で深く傷つけた妻から逃れることばかり考えていました。
私は、この本を読みながら、これこそ私が求めていた結末だったと感じました。このような夫の忍耐にあっていれば、どんなにか幸せだったでしょうか。それは、親から甘やかされて育ち、特に苦労もせずに育った30才になったばかりのわがままな現代っ子の元旦那には、どだい無理な話でした。
さて、この本は死の棘
現代に死の棘は成立しないのでしょうか?きわめて自己中心的な今の日本社会には死の棘は受け入れられないと思います。
元旦那の「浮気をしたという事実を残してしまった結婚生活を続ける気になれない。俺にだって人生がある」という発言と、死の棘の作中のトシオの心情は似ているようで全く違いました。
本当はこんな結末が用意されていたのではないかと錯覚しそうになりましたが、私と元旦那の結末は、何度繰り返しても今の結果であったと思います。
強い愛情を受けることのできたミホをうらやましく思いつつ、でも、今の私の結末だって捨てたものではないと思えるまでに快復している自分の精神状態を発見して、うれしくも感じました。
くれぐれも、浮気されて直後の方、まだ浮気の傷がかさぶたになっていない方は、死の棘は読まないでください。自らの傷をえぐることになります。
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