離婚してから考えてみる出会いと結婚
明治以前、日本には愛という言葉はなかったそうです。一方、日本には情という言葉しかなかったそうです。(loveという単語は明治維新の頃は情と訳されていたそうです)隣近所の情、友達の情、親子の情、夫婦の情…
たまに、「愛していないけど、情はある」っていう言葉を聞きますが、情は愛より下ですか?私は違うと思う。「情」という感情こそが人間らしい、日本人らしい感情だと思います。
元旦那や、その家族の対応を見ていて私が一番思ったのは、「この人たちは、薄情だな」ということです。そしてその時、「薄情」って情が薄いって書くんだな、なるほど。と思いました。
人間が生きている間に出会う人の数は限られています。一説によると、親しく会話を持つのが300人くらいだそうです。一生の間に出会える人の数は限られています。その人たちに出会ったことを大切に考える気持ちが情です。
誰かと出会って、その人と恋愛関係になるだけでも、大変な縁です。まして、その後結婚に至ったなら、その縁(というか関係は)、その人の人生にとって特別なものです。もっともっと大切にしなくてはならないと思います。
離婚した私がいうのは矛盾していますけど。離婚してしまったということは、その程度の縁だったってことですね。笑
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「恋愛に順番はない」って言葉もよく聞きます。
でも、私は順番はあると思います。いいなと思った人に既に配偶者がいたケースでは、結局その程度の縁だっただけです。縁をむりやり捻じ曲げようとしている姿は、自己中心的で醜いです。日本人は情で生きていました。それは、出会った人を大切にする、自分の周りを幸せにする、素敵な生き方だと思います。
私は、新婚のラブラブいちゃいちゃ状態から一気に離婚まで下降したので、結婚生活の真実を知りません。だから、離婚した今でも結婚というものに幻想を持ってしまっています。
「もう、結婚はいやだー」とは思っていなくて、すごくいい人がいたら、またしたいと思ってます。(一方で一生できなくてもいいやとも思ってます。たとえこの先一生独身でも、元旦那といる人生よりいいんだと感じたから離婚したわけだし)
結婚生活を長く営んでいると最初の頃の情熱は確実に消えてなくなるわけです。
私と同じ頃に結婚した友達も、最近は旦那様のお話をしても、昔のようなオノロケではありません。当たり前ですよね。
私の両親にしたって、ただ夫婦として何十年もやってきた結果として二人の関係があるという感じで、かつて、二人が若かった頃に恋愛をしていたということは、娘の私には想像がつきません。
離婚したくせに私は、「結婚したら一生ラブラブでいたい」という幻想を持っているのです。これは、30歳の女性としては、相当痛い感じですね。こういう未熟さが、離婚しても気持ちの整理がつかない原因でもあるのかと……
夫婦という関係を考えるとき、私は遠藤周作の夫婦の一日
私は、この小説を読んだとき、なんとなく、ここに夫婦の秘密があるような気がしました。いっしょに生きているという、他人では代用できない存在。それは、長い時間かけて二人で築くものなんでしょうね。
もし、自分が全くの他人とそういう関係を築いていける人生を引き当てたら、本当に素敵なことだと思います。
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