親同士の離婚の話し合い
その日の朝、母が私を迎えに来てくれました。母から、昨日私が家に帰ってしまってから、父はお酒を飲みに出かけてしまって、結局朝まで帰ってこなかったということを聞きました。
この日は朝から身の回りの荷物(洋服や、仕事に使うもの)をまとめ、宅急便で実家におくりました。
昼過ぎ、義父から私に電話がありました。「昨日はごめんね。離婚を前提にした別居のことなんだけど…」と一方的に話し始めたので、「母と話してください。」と母に電話をかわりました。(もう、離婚について考える気力がありませんでした。)
母が代わると「離婚を前提にした別居の件で、お会いして、お話ししたいことがあるんですが。その日程について…」といわれたらしく、母は「今主人がいませんから、後で主人と相談してから折り返しお電話します。」といってきったそうです。
(うちは、基本的に父がすべて決める家なので。)
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夕方、ようやく当面必要な荷物を送った私と母は、奥多摩の温泉に向かいました。(父と母が年末を過ごすために予約していた宿に1名追加してもらった。)
宿の部屋に通されたとき、私ははじめて、その日が大晦日だったんだと実感して涙をぽろぽろ流しました。
遅れて父も到着しました。
私は父に謝り、事の顛末を話しました。
小さい頃から大好きだった、尊敬するお父さん。そのお父さんを捨てる気持ちで、夫と二人で暮らした家に帰ったのに、夫は私を捨てました。義両親も私を捨てました。離婚する形で再び娘が帰ってくる父の無念を思えば複雑でした。
父は、私と母から話しを聞きながら、じっと怒りを抑えているようでした。お猪口を握る手が震えていました。
昼間、義父から電話があったこと、お父さんから折り返し電話する約束になっていることを話すと、夕食後、父が義実家に電話をかけました。
電話をしてもらう前に私は、「5日から新しい会社に勤め始めるからすごく不安だし、きっとすごく精神的につかれるから、できれば会うのはその前に済ませたい。それが無理なら、私はもう精神がもたないと伝えて欲しい」とお願いしました。
父は私の要望を伝えて、娘を交えて話すならお正月休みの間に、それ以降なら、娘は同席しないで話すという形にしてくれとお願いしたところ、「相談してまた電話します。」との返事でした。
それ以後、電話を待ってましたが、ついに電話はかかってきませんでした。
結局、義両親と私が交わした最後の言葉は、「この離婚は、あなたにも何か原因があると思わざるを得ない。」というものでした。
自分の子供がかわいいのはわかりますが、「息子が不倫という大変なことをして申し訳なかった。」くらいの一言はあってもよかったと思うのは、私が人間のことをよくわかっていないからなのでしょうか。
この大晦日の出来事は、私にとって非常にショックな出来事でした。
今でも、このときのことを思い出すと、涙がとまりません。離婚後の気持ちが整理できないというのはこういうことを指すのでしょうね……。
でも、いずれ、この感情も薄れてくるでしょう。そうやって、忘れることはすごく大切なことですが、なんとなく、どこかに記しておきたくて。
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